大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(ワ)1159号 判決

原告

赤松武

外二名

右原告ら訴訟代理人

橋本和夫

被告

内外タイムズ株式会社

右代表者

臼井邦夫

右訴訟代理人

河合弘之

竹内康二

主文

一  被告は、原告赤松武に対し金一〇〇万円、原告鎌田利三郎に対し金二六〇万円、原告南雲辰治に対し金一二六二万七五〇〇円及び右各金員に対する昭和四七年一月二一日以降それぞれ完済に至るまで日歩八銭二厘の割合による金員を支払え。

二  原告南雲辰治のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告赤松武、同鎌田利三郎と被告との間では全部被告の負担とし、原告南雲辰治と被告との間では、同原告に生じたものの五分の三を被告の負担とし、その余は各自の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外株式会社内外タイムス(以下訴外会社という)は、昭和四七年一月一三日、原告ら各自と、次の各借入金返還債務を消費貸借の目的とすることを約し、弁済期を同月二〇日、遅延損害金を日歩八銭二厘とそれぞれ定めた。

(一) 訴外会社が原告赤松から昭和四六年九月九日に借入れた金一〇〇万円

(二) 訴外会社が原告鎌田から昭和四六年九月二日に借入れた金員の残金二六〇万円

(三) 訴外会社が原告南雲から昭和四六年八月三一日より同年一二月二五日までの間に四〇数回にわたり借入れた金員の残金合計一九六三万七五〇〇円。

仮りに右残金全額に相当する金員の貸渡が認められないとしても、少くとも一二六二万七五〇〇円の貸渡があつた。

2  (法人格の否認)

被告会社は、以下に述べるとおり、訴外会社の債務の支払を回避する目的で設立されたものであり、その経営の実体が訴外会社と同一であるから、原告らは、いわゆる法人格否認の法理により、被告会社の法人格を否認する。〈以下、事実省略〉

理由

一1  〈証拠〉によると、請求原因1の各準消費貸借契約締結の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告は右各準消費貸借契約の旧債務が不特定であると主張するが、旧債務の特定方法は、当事者間の同種の原因に基づく債務と彼此混同を生じるおそれがあるか否かによつて、その主張すべき事実の内容、精粗を異にするものであるところ、右各契約当事者間で旧債務の発生期間中に旧債務と主張されるものの他に金銭消費貸借契約を締結したことを窺わせる証拠はないから、本件旧債務が他の債務と混同されるおそれはなく、特定方法として最小限度欠けるところはないというべきである。

2  被告は右各旧債務の発生及び金額を争うので、これについて判断するに、〈証拠〉を総合すれば、原告赤松武及び原告鎌田利三郎に関しては請求原因1の各旧債務が成立したこと、原告南雲辰治が昭和四六年八月三一日から同年一二月二五日までに訴外会社代表取締役野口至淏との間で金銭消費貸借契約を約四〇回にわたり締結して貸渡した金員の合計は一二六二万七五〇〇円であることが認められ、これを覆えす証拠はない。

なお、原告南雲辰治本人尋問の結果中には、右認定の旧債務の他に、同原告が保証人となり、かつその保証債務を弁済したことによる求償債権合計約七〇〇万円を訴外会社に対して有するかの如き供述があるが、かかる旧債務は同原告の主張せざるところであり(その具体的発生原因を明らかにする証拠もない)、これを本件準消費貸借の旧債務と認めることはできない。

二次に、営業の譲渡の有無について判断する。

1  訴外会社が日刊新聞「内外タイムス」紙の発行を主たる事業としている会社であり、昭和四六年一二月二七日不渡手形を出して倒産したが、その後も昭和四七年三月四日までは日銭による賃刷りで同新聞の発行を継続したこと、同社の代表取締役は野口至淏であるが、同社を実質的に支配しているのは同社の筆頭株主兼取締役社主である笹川了平であること、昭和四七年三月六日以降は坪井一郎が訴外会社のそれと同一の題字を使用して「内外タイムス」紙を発行し、坪井一郎が同年三月一四日被告会社を設立し、自ら代表取締役に就任し、遠矢直輝を編集局長に据え、右新聞の発行を継続したこと及び中央労働委員会は昭和四九年六月三日被告会社に対し、訴外会社の前従業員中二三名の申立に基づき、同二三名を「昭和四七年五月二一日付で採用したと同様の状態を回復させなければならない。」との救済命令を発したことはいずれも当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  訴外会社は日刊新聞「内外タイムス」紙の発行を主たる事業とする会社であるが、労働組合との間に争議が頻発し、これが経営悪化の大きな原因となり、昭和四六年一二月二七目、不渡手形を出し、同月三〇日銀行取引停止処分を受け、約三億円の累積赤字を抱えて倒産した。同社は日刊紙発行に当つては、自前の印刷工場を持たず、デイ・エス印刷所に賃刷りさせていたが、右倒産後は、日銭による賃刷りで「内外タイムス」紙の発行を継続し、その間に会社再建のための方法を模索していた。

同社の筆頭株主兼取締役(前代表取締役)社主として同社を実質的に支配している笹川了平は、同四七年二月ころに至つて訴外会社の自力再建は不可能だが、再建のためにせよ日刊紙が休刊することは得策でないと判断し、同社の主要株主の一人である訴外東洋熱工業株式会社代表取締役坪井一郎に「内外タイムス」紙の発行を引き継ぐ新会社の設立を要請したところ、坪井一郎もこれを応諾した。そこで笹川了平は右新会社に「内外タイムス」紙の発刊を引き継がせることを訴外会社代表取締役野口至淏及び同社労働組合幹部らに伝え、坪井一郎に協力するように告げた。

(二)  野口は自社の労働組合の要求もあつて、坪井一郎に対し、新会社の従業員全員を雇傭すること(雇傭関係の全面承継)を要求したが、坪井一郎は、訴外会社の尖鋭かつ過剰な従業員(訴外会社の従業員数は倒産時で約一三〇名、昭和四七年二月末から三月初めの時点で約七〇名)をそのまま引き継ぐことを嫌い、新会社は坪井一郎に追従している訴外会社取締役編集長遠矢直輝外七、八名の訴外会社従業員(ただし一部の者は倒産後既に退職している)(以下遠矢らという)を中心とした経営者に協力的な従業員だけで、少数精鋭主義で運営したいと構想し、野口の右要求は受けいれには難色を示し、この交渉は難航した。

そこで、野口と坪井一郎とは、昭和四七年二月末から三月初めころにかけて折衝したが、右全員雇傭の諾否につき確たる結論を出さないまま、とりあえず「内外タイムス」紙発行事業の引き継ぎを行うことになり

(1) 訴外会社による発行は同年三月四日までとする。訴外会社は右発行停止後、商法三八一条による会社整理を申立て、債務の整理に専念する。

(2) 坪井一郎(新会社設立後は同会社。以下、「坪井一郎(新会社)」とあるのは、この意味である。)は三月六日以降自己資金をもつて「内外タイムス」紙を発行する(三月五日は目曜日で「内外タイムス」紙の休刊日である)。

(3) 訴外会社は三月六日以降、訴外会社の従業員を坪井一郎(新会社)の「内外タイムス」紙発行業務に従事させる。

(4) 訴外会社の債務の整理が完了したときに、訴外会社と新会社とは合併する。

との基本的な合意を先ず成立させた。

(三)  そして坪井一郎は、同年三月二日訴外東京サンケイ印刷株式会社と期間一年の新聞印刷請負契約を締結し、同一印刷所内に編集局を置き、同月六目以降遠矢らが中心となつて、訴外会社の従業員を使用して、訴外会社の発行名義で「内外タイムス」紙の発行を継続した。

(四)  その後、坪井一郎は自己の住所地を本店所在地として新会社(被告会社)を設立(同月一一日創立総会、同月一四日設立登記)し、自ら同社の代表取締役に就任するとともに、訴外会社の編集局長であつた遠矢らを含む約一〇名の訴外会社従業員を被告会社の従業員として採用し、遠矢を編集局長に据えた。そして被告会社は同月一六日「内外タイムス」紙上の発行名義を被告会社に、本社編集局の所在地を東京サンケイ印刷の住所地に改めた。

(五)  一方、野口は、坪井一郎への「内外タイムス」紙の発行の引き継ぎが順調に行なわれたのを見届けたうえ、同月九日、前記坪井との合意に基づき、東京地方裁判所に対し訴外会社の整理を申立て、被告会社に対しては営業譲渡契約書を作成すべく坪井一郎に再三申入れをなしたが、被告会社はこれに応ぜず、かえつて同月二五日にいたり、契約書の作成を拒絶してきた。このため訴外会社では、同月一四日に開催を予定していた営業譲渡のための株主総会を開くこともできず、従つて営業譲渡の特別決議も経ていない。

しかし、訴外会社の発行済株式は三〇万株のところ、笹川了平が一〇万六六六〇株、野口至淏が二万株、東洋熱工業株式会社代表取締役坪井一郎が六万株を所有しており、八万株の所有者である新日本観光興業株式会社代表取締役佐々木真太郎は笹川了平の娘婿糸山英太郎の父であり、以上、四名の持株合計は二六万六六六〇株と発行株式の八割を超える。

そして、訴外会社の株主で前記(一)の笹川了平の「内外タイムス」紙の営業を坪井一郎が設立する被告会社に引き継がせることを昭和四七年三月一四日(被告会社設立登記日)までに反対した者はなかつた。

(六)  また、訴外会社は、三月六日(坪井一郎個人が実質上の発行者となつた日)以降、被告会社設立後も訴外会社従業員を業務命令をもつて引き続き被告会社の「内外タイムス」紙の発行に従事させていたところ、被告会社は同年三月末ころ右従業員中二〇数名を被告会社従業員として「採用」し、残余の約三〇名については業務遂行上不必要との理由で「採用」を拒否し、被告会社の業務に従事することを拒否した。その結果、被告会社の従業員は設立当初採用分も含め、合計約三五名となつたが、そのほとんど全部が訴外会社の従業員である。(訴外会社の販売局長望月も被告会社へ移つている。)

右「採用」を拒否された訴外会社の従業員は内外タイムス労働組合に所属する二三名(訴外会社には、他に内外タイムス中央労働組合があつた)が大半を占めていたが、同組合及び右二三名は訴外会社からも同年五月二〇日付で解雇通知を受け、直ちに東京都地労委に不当労働行為を理由とする救済命令を申立て、この後中労委は昭和四九年五月一五目「被告会社は次の措置を含め、内外タイムス労働組合の右二三名の組合員に対し、昭和四七年五月二一日付で採用したと同様の状態を回復させなければならない。(1)同人らを訴外会社におけると同様な職場に就労せしめ、その就労条件について他の従業員と差別しないこと。(2)同人らに対し、昭和四七年五月二一日から就労にいたるまでの間に受けるはずであつた諸給与相当額を支払うこと。」等を内容とする救済命令を発した。

(七)  訴外会社の内外タイムス労働組合は、被告会社の右(五)記載の一連の行為に対し不満と不信を持ち、同年四月ころから五月ころにかけて、訴外会社から被告会社への営業譲渡は未了であることを確認する旨の言質をとり、訴外会社代表者野口は被告会社から新聞発行事業を取戻す方策をも検討したことはあつたが、結局実行されなかつた。

訴外会社はその後、同年六月二〇日訴外会社の全従業員(前記二三名及び非組合員八名の計三一名)を解雇し、同年一一月二日、東京地方裁判所は訴外会社に対し破産の宣告をした(前記会社整理の申立は取下げられた)。そして、同破産手続はほとんど終結した。

(八)  ところで「内外タイムス」は昭和二四年創刊にかかる比較的歴史の古い夕刊紙であり、昭和三〇年五月にはその題字について商標登録(第四六一一二号)がされている。昭和四六年ころの同紙の発行部数は約二万五〇〇〇部であり、うち一割五分から二割程度は読売新聞の販売店を通じ定期購読者に配達され、その余は鉄道弘済会を主とする販売委託先を通じて駅頭、街頭で即売されていた。

これに対し被告会社は、昭和四七年三月一六日新たに社団法人共同通信社との間でニュース及び写真ニュース提供契約を締結したものの、前紀のように訴外会社の現従業員を使用して新聞を製作し、前記商標登録にかかる題字を引き続いて使用し(ただし、訴外会社は昭和四六年五月笹川了平に対して経営不振の責任をとるためと称して右商標権を同人の友人である坪井一夫に無償で移転登録し、以後同人より使用借りしていたので、被告会社も同人から使用借りしたことになる)、訴外会社の「内外タイムス」紙と連続する発行号数を付し、もつて外形的にも内容的にも訴外会社のそれと同一性・連続性を有する「内外タイムス」紙を発行し、前記読売新聞の販売店、鉄道弘済会等の販売委託先をそのまま引き継ぎ利用して販売し、訴外会社の「内外タイムス」の定期、不定期の購読者層をそのまま引き継いだものである。

また訴外会社の昭和四六年ころの取引広告代理店は約八〇社以上であつたが、被告会社はこれら代理店に対しても「従前どおりお願いしたい」と申入れ、そのうちのかなりの部分を引き継ぎ取引している。

(九)  訴外会社は中央銀座三丁目五番地に本店を、同社の委託印刷所である株式会社デイ・エス内に編集局を置き同所で「内外タイムス」紙の発行を行つていたものであるが、被告会社は、本店、事務所、編集局、印刷委託先、電話、什器備品等の設備は訴外会社のそれを承継せず、被告会社が独自に調達した。

以上の事実が認められ〈る。〉

3 以上の事実によると、訴外会社と坪井一郎との間で、設立される被告会社のため「内外タイムス」紙発行事業の承継の合意がなされ、被告会社はその設立と同時に、右合意の効果を享受する意思を暗黙に示して、訴外会社から、新聞の製作発送スタッフ、商標使用権、販売ルート、購読者層、取引広告代理店等を含む有機的な新聞発行の活動(営業活動)を一体として引き継いだのであるから、訴外会社から被告会社に対して営業の重要な部分が譲渡されたものと認めるのが相当である。

4 被告会社が新たに共同通信社と契約を締結したこと、被告会社が委託印刷所も含め訴外会社の物品設備及び印刷委託関係を引き継がなかつたことは前記認定のとおりであるが、日刊紙印刷は賃刷りすなわち外注作業であつたから、その外注先を変更しただけでは営業の本質的同一性は害われるものではないし、本社社屋も、訴外の整理の財源にあてる必要があつて訴外会社の資産として留保されたものであることが窺えるから、かかる物的設備の譲渡がないからといつて、営業の重要な一部(全部ではない)の譲渡を肯定することの妨げとなるものではない。けだし、日刊紙発行の事業としては、編集、営業、広告の三部門が組織の中心をなすところ、被告会社の右三部門の従業員のほとんどが訴外会社の従業員であつた者であり、編集局長、販売局長も移籍している。そして営業の根幹である新聞の販売先も訴外会社のそれを全面的に承継し、収入面での基盤はこれで保障されたことになるし、広告も、訴外会社の取引先に取引の継続を申入れ、同一新聞の継続発行であることが、広告収入の確保につながつたことも否定できない。

このように日刊紙の発行事業にとつては、新聞としての同一性、発行の継続性、編集、販売、広告という業務活動の有機的組織の一体性が特に営業の同一性判定上重要であり、社屋等の物的設備を決定的な指標とみるのは、業種及び整理のため譲渡という本件の事情の下では相当でない。前示のとおり一時期訴外会社においても営業は譲渡していないとの態度をとつたことがあつたけれども、新聞発行の引き継ぎ自体にはなんら消長を来さなかつたし、かかる態度変化も前記認定の事情を総合勘案すれば、営業譲渡の事実を覆えすものではない。

5  なお、被告は、訴外会社、被告会社間の営業譲渡は、訴外会社において株主総会の特別決議を経ていないから無効であり、商法二六条の営業譲渡に該らないと主張し、訴外会社において株主総会の特別決議を経ていないことは前記二2(五)のとおり認められる。

しかし、商法二四五条一項一号が営業の全部又は重要な一部の譲渡をいわゆる特別決議事項としたのは、株主保護のためであるところ、前記二2(五)で認定したとおり、訴外会社の株主で被告会社設立日までに本件の営業譲渡に反対した者は無い。しかも、訴外会社の破産手続は、前記二2(七)のとおり、すでに終結している。そうすると、商法二四五条一項一号による株主総会の特別決議を経ない営業讓渡行為は原則として無効であるとしても、本件のように営業が復帰すべき実体が消滅している特別な事情がある場合には、営業は結果的に被告会社に帰属することになるから、債権者保護を目的とする商法二六条の適用に関して考えれば、事実上の営業譲渡の実体があるかぎり、かかる営業譲渡についてもなお、同条項の適用を肯定できると解すべきである。被告の主張は採用できない。他に営業譲渡の成立を覆えすだけの証拠はない。

三1  次に商号続用の点につき判断する。

訴外会社の商号が「株式会社内外タイムズ」であり、被告会社が「内外タイムズ株式会社」なる商号を使用していることは当事者間に争いがない。右被告会社の商号を訴外会社のそれと比べると、主要部分である「内外タイムス(ズ)」の部分がほとんど同一であり、後ろに付加されていた「株式会社」の表示を前に付加しただけの違いであるから、法的には被告会社の商号と同一と解せられる。従つて、被告会社は訴外会社の商号を続用するものと認められる。

2  また被告は、商法二六条の責任を論ずる場合、債権者が悪意であるときは同条二項を類推して、商号続用営業譲受人は責任を負わないと解すべきところ、原告らは被告会社が訴外会社の債務を引受けなかつたことにつき悪意であつたから、被告は同条の責任を負わないと主張する。

しかしながら、仮に右主張のような類推が許されるものとしても、その場合の債権者の悪意は、同条二項の登記又は通知に代わる免責事由であるから、営業の譲渡があつた時から登記又は通知をしたならば免責を得たであろう時点までに生じた場合に限られるものと解すべきであり、登記又は通知について遅滞に陥つたであろう時点以後は、たとえ債権者に悪意を生じたとしても、営業譲受人は免責を受け得ないものと解しなければならない。(そうでないと、債権者は訴訟中に悪意となることを殆ど免れない。)

そして、債権者の右悪意の成立時点は同条二項の類推適用を主張する者が立証責任を負担するものと解すべきところ、被告の立証及び本件全証拠によるも、前示営業譲渡から遅滞に陥つたであろう時点までの間に、原告らが被告会社が訴外会社の債務を引受けなかつたことにつき悪意となつたことを認めることができない。したがつて、被告の右主張は理由がない。

四以上の事実によると、原告らの本訴請求は、前記一で認められる各準消費貸借債権の範囲で理由があるものとして各認容し、原告南雲辰治のその余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言は相当ではないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(山本和敏 松尾政行 瀧澤泉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例